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こい(@gyaradus)のブログ

【アシモフ】『夜来たる』──2022年9月に読んだ本について

 9月に読んだ本からとくに気になった5作品の紹介。

 

1.『夜来たる』(アイザック・アシモフ

 ミス研《リーズニング・クラブ》の9月の課題本。アシモフのアイデアメーカーぶりを存分に堪能できる短編集である。アシモフのSFのおもしろさとして、「置き換え」というものがある……、というのは、このブログ内ですでに触れていただろうか。たとえば、「緑の斑点」では生物一匹一匹を細胞に置き換えており、「ホステス」では寄生体の寄生対象を肉体から精神へと置き換えている。このような手法は、身近なものを異化させ、あらたな視点から見直す機会を設けてくれるが、「人間」が「ペニシリン」に置き換えられ、「人間を培養生物とする上位存在がどこかにある」なんて考える作品が描かれる(「人間培養中」)のは、核兵器の登場によって、ボタンひとつで消え去る「菌」同然の地位になってしまった人類の“今”をよく表しているといえよう。

 

2.『人生論』(レフ・トルストイ

『イワンのばか』や『復活』といった作品群で示されていたトルストイの「利他主義」が、体系的に語られている。ピエールのイルミナティー加入(『戦争と平和』)は、モームには「退屈」と断じられていたが、妻の不倫からのドーロホフとの決闘のくだりは、本書で語られている「自己保存の空虚さ」、そして「社会とのつながりを求めてしまう人間の哀しき本能」を示した箇所として重要だったのではないか、と思えた。トルストイの作品を解読する指針として重要な一冊。


3.『シッダールタ』(ヘルマン・ヘッセ

 ここ最近、ボルヘストルストイ、アニメ『5億年ボタン』などを摂取していた影響からか、インド哲学への興味が増していたため、入門書気分で手に取った。苦しみの根源である「我」を消失するためのに必要なのが「目標を持たない」ことというのは、私のようにいつもなにかしら目標を立てて動いている人間にはつらい話だ。本書の文体は、澄んでいるというか、身体感覚にうったえかけるというか、体中の倦怠を意識させられる感じなのだが、「我の消失」というテーマには見事合致しているといえる。読み終えたあと、5日くらいぬるい湯に使って我を消すごっこ遊びを続けた。次ダイエットするときにまた読み返してもいいかもしれない。

 

4.『異端の数ゼロ』(チャールズ・サイフェ)

 現代を作り上げた概念「ゼロ」について、石器時代から現代に至る数学史の話が展開され、座標平面や極限が、ワームホールやビッグバンといった超大なスケールの宇宙論へとつながっていく。歴史とミステリとSFを横断するような知的興奮を感じさせる著書で、後述の通り、数学・物理を勉強したての子ども同然の私には、ニュートンライプニッツなどの数学者と極限をめぐる話なども身近だったため、たいへんおもしろく読めた。私たちが生きている世界は、直観を大きく超えて、数学的で抽象的だし、SFでミステリで歴史ロマンじゃないかと思えた。


5.『ONE PIECE』(尾田栄一郎

 9月は「ウォーターセブン編」「エニエス・ロビー編」が公式サイトで無料解放されていたため、一気に読んだ。キャラのビジュアルと立て方がなんといってもいい。カクはあんな冗談みたいな顔の造形なのにスタイリッシュでカッコイイし、ルッチはスマートな殺し屋と荒々しいガテン系の魅力が見事に調和している。アイスバーグさんも傍若無人のカリスマを印象づけた後、「おまえそれでも一船の船長か?」と、伊達に街の顔をやっているわけではないところを見せてくれる。ストーリーも、メリー号の廃船宣告という不穏なはじまりから、チーム内での戦いの勃発、強大な敵と対立、さらと作品にまつわる重要な世界観を彫り下げと、今後の展開を気にせずにはいられないつくりとなっており、じつにおもしろい。子ども時代に読んだときより、ずっとたのしめた。

 

 

 その他9月の活動

 9月中は高校数学を中心に勉強を行った。

『白チャート』を使い、数Ⅲの内容のうち、「複素数平面」「式と曲線」「関数」「数列の極限」「関数の極限」の学習を行ったが、「三角関数」「微分積分」「数列」「確率」といった数Ⅱ・Bの範囲を振り返らなくてはいけない場面が多く、効率がよろしくない。現役時代、公式の証明を飛ばし読みし、用語もあまりおぼえずに、型だけをおぼえて点数をごまかしたことが、かなり祟っているようだ。10月中は、数Ⅱ・Bの範囲に戻って、不備を埋めていくことにする。

 

 古文について、『マドンナ古文』シリーズの『和歌の修辞法』を読んだことで、「和歌」がどういうものなのかの概要は掴めた。これで国内の古典文学をたのしめる素地はできた……のかはまだ定かではないが、文法、単語、古文常識あたりはもう大学入試水準程度には知識入力できているはずなので、10月から平安女流日記文学の古典を可能な限り原文で読み進めていく算段だ。(この記事は9月末のわたしが書いているという設定なので、「はあ? これまでに、『更級日記』とか『讃岐典侍日記』とかの感想記事をあげていただろ?」みたいなツッコミはご容赦してくれ。)