鍋の中にはカルプフェン

こい(@gyaradus)のブログ

【シェークスピア】『マクベス』──マクベスにポケモンバトルをやらせたらクソ雑魚!?

 ポケモン対戦というのは基本的にクソゲーであり、あちらのヘイラッシャは地割れを3連続で当て、ウルガモスは神速されたら必ず火傷させてくるのに対し、こちらの電磁波で麻痺ったピンクハゲ(ハピナス)は悪の波動も食らって64%でしか動けないくせに平然と地球投げを当ててくる。

 

 そのようにして負けが近づくと、たいていは切札勝利にドラゴンを3連召喚されたときの白凰くんのように、「きやがれーー!!麻痺怯みーー!!」と叫ぶしかなくなる。しかし、そんなことを叫んでいる時点で、もう実質的な勝敗は決しているのだ。認めよう。わたしは、弱い──。

 

 

↑麻痺怯み、発動せず……。

 

 希望が死ぬと願掛けが生まれる。
(レオナルド・ダ・ヴィンチレオナルド・ダ・ヴィンチの手記』杉浦明平訳)

 さすがは天才ダ・ヴィンチ。かれにポケモンバトルをやらせればあっという間にトップランカーだろう。願掛けするような状況になっている時点でその勝負は負けも同然なのだ。
 ランクマッチというのは、一度限りではない。試行回数を増やせば、確率は嘘をつかなくなってくる。仮に運だよりで2、3回勝利をおさめたとしても、全体としてはたいして意味をなさなくなってくる。健全な魂は、運にしがみつかない。中身のないグズ野郎に限って、「おれは強運!」などとひとり語りしながら、自分を鼓舞する。

 

紂が、「わしが生まれたのだって天の命があるからじゃないか」と言ったので、祖伊は引き退って、「紂はもう諌めてもだめだ」と言った。
(司馬遷史記』「殷本紀第三」小竹文夫・小竹武夫訳)

 殷が滅亡寸前の状況にあっても紂は目の前の窮地にたいして舵をとらず、「なんとかなるなる!」と天運に身を任せていた。なにも考えずに地割れヘイラッシャを使うようなエンジョイ勢と同じである。
 とうぜんこのような雑魚が、殷が弱まるまでクールに戦局を見据えていた武王に勝てるはずもない。宝玉で飾った着物を着て火に飛びこむ最期など、ゴツメギャラドスにウェーブタックルを当て続けて自主退場するヘイラッシャ使いと同じではないか。挑発をくらった時点で降参しろ。
 このように天運に身を任せた結果、すべてを失う羽目になった例は数多くあるが、中でも印象深いのは、シェークスピアの悲劇の主人公であるマクベスだ。もともとはスコットランドの勇敢な武将だったが、夫人と三人の魔女の甘言につき動かされて王を暗殺し、その王位を奪う。しかしその地位を失うことの不安からどんどんと狂気に飲みこまれ、破滅へ導かれていく……という筋書きはこのブログの読者諸氏もよくご存じだろう。

 

マクベス (傍白)運が俺を王にするなら、そうだ、運が王冠を載せてくれるだろう。

 じたばたしなくても。

(ウィリアム・シェークスピアマクベス』松岡和子訳)

 この発言を見てわかるように、こいつはもともと運だけの野郎なのである。「王になってなにがしたいか」とか「王になって自分にどんな利益があるか」とか、そういうまともな見通しもなにもない。魔女だの嫁だの周囲にいわれるがままにただ「チャンス」だというだけで王を殺してしまっている。交代読みをすることもできず、初手からテラスタルを切ってしまうトレーナーと同じである。
 本気で「勝つ」ことを考える人間はこのような真似はしない。大局を見据え、自分が有利になるよう静かに物事を運ぶ。マクベスは王ダンカンの信頼を確実に得ており、王にならずとも、豊かに暮らして子孫を繁栄させる道はしっかりあった。かれが「勝つ」ことを狙う人間ならば、甘言に迷わされずそちらの道を選んだことだろう。後先考えず目の前の勝利を掴んだ結果、なにが残ったか? 偽りの権力への執着と、それが奪われる恐怖心だけだ。運ゲだけで高ランク帯にいってしまった人間とまったく同じである。かれが行っているのは、「勝負」ではない。ただの「ギャンブル」だ。

マクベス そんなことを言う舌は呪われろ、
 俺の気力も挫けた。あの悪霊どものいかさまだ、
 もう信じないぞ、曖昧な二枚舌で人を惑わし、
 耳に対しては約束を守りながら
 いざとなると反古にして、期待をはぐらかす。──貴様とは闘わない。

(ウィリアム・シェークスピアマクベス』松岡和子訳)

 天運に見放されたとわかるとこの通りの錯乱である。『マクベス』に出てくる3人の魔女とは地割れヘイラッシャ、催眠ラウドボーン、ムラっ気オニゴーリの3匹のことではないかとすら思えてきた。

 

↑マクダフ「降参しろ、卑怯者!」


 大事なのは、運に頼らず、自分の戦略と構築を信じること。ポケモンバトルに強くなるため、シェークスピアから学べることは多い。

 冷静さを取り戻した結果、ついに1803位まで登りつめた。天運に身を任せず、つねにクールであること。それが強くなる一歩である。