鍋の中にはカルプフェン

こい(@gyaradus)のブログ

【中上健次】『十九歳の地図』──札幌旅行と輝かしい思い出のつまった電車

 大学の卒業旅行で札幌にいったときのことだ。SNS上に現地で撮影した写真を掲載したら、このようなリプライがついた。
「忘れられない思い出になったでしょう」
 わたしは「べつに……」と返信を送った。それから同じひとがさらになにかリプライしてきたことはおぼえているが、どんな内容だったかはもう忘れてしまった。
 そのひとには数ヶ月後にタイムライン上から消えてもらった。「ソト」と見なしたのであろうとある作品について、わたしがたのしんでいる様子を一種の冗談とみなしたのか、小馬鹿にするようなリプライを送ってきたためだ。
  「忘れられない思い出」。気持ち悪いことばだ。なんで知り合いと観光にいっただけのことが、後生大事にしなきゃいけないかけがえのない思い出のように扱われなきゃならんのだろうか。このとき一緒に旅行にいった面子の大半とはもう連絡を取り合っていないし、観光の記憶を思い出してにこやかになるようなこともない。
 雪景色の中を歩む大学生たち。社会へ羽ばたく前の最後の余暇。広大な自然に眼を輝かせ、冷たい外気を胸にしみこませ、すこしの寂しさと将来への不安を抱えながら、仲間たちと輝かしい思い出を語り合う……、ああ、書いていて鳥肌が立ってきた。こんなしみったれた集団は、札幌の不良にカツアゲされて泥のついた雪の上に倒れ伏せばいい。わたしの思い出を勝手に型にはめて捏造されては困る。

なにも変りゃあしない。ぼくは不快だった。この唯一者のぼくがどうあがいたって 、なにをやったって、新聞配達の少年という社会的身分であり、それによってこのぼくが決定されていることが、たまらなかった。
(中上健次『十九歳の地図』)

『十九歳の地図』のラストシーン。主人公は駅員に電話で怒鳴りこむように爆破予告を行う。冷静に話し合おうとする相手に「うすら」「とんま」というような罵倒を続け、そのまま激しい勢いで通話を切ってしまう。そして、冷たい風の中、電話ボックスのそばの歩道で声を出さすに涙を流し続けながら、「これが人生ってやつだ」とこころに思う。
 主人公は端からみれば迷惑な異常者そのものだ。ろくに勉強もしていない、社会的な観点で見れば先のない浪人生であることにも代わりはない。しかし、読後感は不思議と澄んでいる。いいたいことはいったんだから。
 自分となにも関係のない人間の日常に予期しない事件が訪れてほしい。じっさいにはそうならないにせよ、レールが外れてしまう想像を抱いてほしい。かれと比べて月並みで自己保身的な手段をとっているだけで、わたしも考えていることは同じなのかもしれない。