鍋の中にはカルプフェン

こい(@gyaradus)のブログ

【ロバート・B・パーカー】『初秋』──5月のせいで生活がぐだぐだになってきたのでスペンサーになる

 5月になってからまったくダメだ。日中は眠いし、身体はダルいし、集中力はとぎれるし、飯はまずいし、髪は汗で蒸れるし、四六時中イライラしている。大学ミス研の後輩が誕生日プレゼントを募集していたので、さぞ貧困にあえいでいるのだろうと共感してミネラルウォーター1箱とバースデーカードをプレゼントしたが、まったく反応がない。その上、「お誕生日おめでとう!」のメッセージをガン無視してきたものだから、憤激させられた。
  このような状況下に置かれているのはわたしだけではない。SNSを見るに、フォローしている同年代の人間の6割程度は5月に入った途端に無気力になり、精神的な悲痛を訴えていた(残りの4割は5月に限らず毎月精神的な悲痛を訴えている)。気圧の変化だの、ゴールデンウィーク明けだのといったさまざまな要因が重なるのだろう。自分用のルーティンチェックを調べてみると、5/7あたりからまったく運動をしなくなり、諸々の作業も進行ペースが落ちていた。
 こうしたつまずきを長引かせてはなるまい。2024年も三分の一を越えたともなると、中だるみしてしまうのだろうが、こういうときは、「たったいま真の2024年がはじまった」と思って気持ちを改めるに限る。まずはもう長くて汗吸ってうっとうしい髪を切りに行く。面倒だから可能な限り短くしてくれ、といったら『サザエさん』のカツオくんみたいな頭にされたが、もうこれでいい。こうして頭が冴えたことで、次になにをすべきかもすぐわかった。本の整理だ。調べてみたら52冊併読していたが、これではいったいなにに手をつければわからない。そもそもこれまで作業が進まなかったのはテーブルの上が本で埋め尽くされていて書類もパソコンも置けないせいだった。勉強用5冊、研究用5冊、自己管理用5冊の15冊にしぼり、あとは本棚に納める。続いて行うのはもちろん人間の整理だ。わたしのおたおめをスルーしやがったとんでもないやつはブロックし、野垂れ死ぬことを願うこととする。
 それからやったことは以下の通り。
・筋トレを行う。
・読書を行う。
・部屋の空気を入れ替える。
・エアコンを切って“自然”と一体化する。
・そもそも糖質をとりすぎ。カフェインもとりすぎ。冷たい水を飲みながら禁欲をする。
・『こころ』のKになりきり、「精神的向上心のないものは馬鹿だ」と考える。
・写真整理。とりあえず撮っておいた的なごはんの写真は一気にインスタに乗せる。

・文章整理。ブログの記事になりそうなものはどんどんまとめる。

・モーツァルトをきく。(●5/26追記)
・SNSや動画サイトのように「次から次へと興味を移させる」仕掛けのものから距離をとる。(●5/26追記)

 

「得意なものがなんであるか、ということより、なにか得意なものがあることの方が重要なんだ。おまえにはなにもない。なににも関心がない。だからおれは、おまえの体を鍛える、丈夫な体にする、十マイル走れるようにするし、自分の体重以上の重量が挙げられるようにする、ボクシングを教え込む。小屋を造ること、料理を作ること、力いっぱい働くこと、苦しみに耐えて力をふりしぼる意志と自分の感情をコントロールすることを教える。 そのうちに、できれば、読書、美術鑑賞や、ホーム・コメディの科白以外のものを聞くことも教えられるかもしれない。しかし、今は体を鍛える、いちばん始めやすいことだから」
(ロバート・B・パーカー『初秋』菊池光訳)

 ロバート・B・パーカーの『初秋』は、学生の頃から、いまのようにだれてしまったときに読む作品で、あまり通しての再読をしないわたしとしては、珍しく4回ほど読んでいる。(わたしが持っている文庫版は白地の背景に「初秋」の2文字が大きく記されていて、さらにその下に本編のセリフが添えられたカッコいいやつなのだが、だれなんだこのタンクトップのおじさんは。)
 私立探偵のスペンサーが、ダメな大人に振り回されて心を閉ざしてしまった少年を、筋トレだの大工仕事だのを体験させながら自立させていく……という筋。あまりものマチズモぶりに笑ってしまいそうになる話だが、この作品に影響されたことは数多い。
  「憧れる探偵像」というと、「強い」とか「賢い」とか、超人的なヒーローが思い浮かぶひとが多いかも知れないが、この作品に登場する探偵スペンサーの魅力はあまりそういうところにない。どういうところにあるかといえば、「スポーツをたのしむ」「読書をする」「料理ができる」「冗談をいう」「スポーツ観戦を楽しむ」「美術鑑賞を楽しむ」……。どれもいたってふつうのことで、やっているひとはいくらでもいる。しかし、スペンサーにとって、これらはどれも「自分の人生の舵を自分でとっている」証明なのだ。そのようにして様々なものに関心を持って生活をたのしむ姿が、「こうして生きたい」と思わせる。これぞ憧れだ。
 そもそも誕生日プレゼントをスルーされたくらいで憤るなどというのは、他人に自分の人生を委ねている印だ。そんな心構えでいたから5月になってしばらくうまくいかなかったのだろう。身を清めて心力を向上させたわたしは、これまでとは一味違う。今日から全力で5月に立ち向かう所存である。あと未来のわたしは、生活がぐだついてきたら、この記事に書かれていること試してくれ。