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こい(@gyaradus)のブログ

【紫式部】『源氏物語』「幻」「雲隠」──半年ともに過ごした友、死す

 昨夜、『源氏物語』の「幻」を読み終わった。半年かけて読んできた源氏の物語がついにここで終わりを迎える。
 この章は虚無にも似た静かさだけがある。前章「御法」で紫の上を喪った哀しみに暮れながら、源氏は自分の人生は哀しみ続きだったと話し始める。だれもが知るこの上ない美貌を持ち、数々の女性と関わりを持ち、知性も芸術の才もこのうえなくすぐれ、天皇と同格の地位にまで上りつめた源氏の人生。ここまで40章近く追ってきた物語が、ここにきて「哀しみの連続」と断じられてしまう。紫の上との思い出すら「哀しみを強くするだけ」と切り捨られて、これまで関わった女性たちとの手紙が次々と破られ焼き払われてしまう様子は、これまでのすべてが否定されたかのような印象を受ける。
 月並みかもしれないが、「この物語ってなんだったんだろうな」と思えてしまった。おのれの力を存分に振りかざし、朱雀帝たち周囲の人間を踏み台にして、欲しいものをなんでも手に入れてきた源氏には、最終的に哀しみしか残らなかった。宝探しの物語は、主人公が宝を得た時点で終わりを迎えることができるが、人生はそうではない。道中で得た宝がとつぜん無価値になる瞬間が、どこかにある。
 いまにして思えば、『源氏物語』では、なにかを手に入れようとする気持ちが厄介ごとの引き金となっている。柏木がそうだろう。夕霧も二の宮に近づこうとした結果、雲居の雁との仲がこじれはじめている。六条御息所も年下の源氏のことなど相手にしなければ怨霊にはならずに済んだはずだ。源氏の誘いをすげなく断って出家した朧月夜の返歌は、なんと透き通っていることか。
 哀しみに暮れながら、社会との関わりをすこしずつ断っていく源氏。自分になされる長寿祈願をわずらわしく思いながら、祭事や祝賀に手を尽くすようになる。個人としての欲が消えていっていることがわかる。
 ラストシーンの光源氏は、年老いながらも、若き日よりもさらに美しさが増し、それを見た老僧が涙を流すほどだった。この美しさの源はなんだろう、と考えてみても、明確なこたえを出すのはむずかしい。「死」や「利他」ということばにおさめてしまうと、この夏の夢の中にあるような神々しさが失われてしまうからだ。
 源氏の最期が描かれていたであろう「雲隠」は章題だけが存在し、その内容を知ることはできない。それでよかったような気もする。栄華の中から薄れゆくように消えていき、知らぬ間にひっそりといなくなっている。光源氏の最期としてこれほどふさわしいものがあるだろうか。
 すでに瀬戸内寂聴訳の『源氏物語』は10巻まで購入してあり、「さあ、つぎは宇治十帖だ」と意気ごんでいたのだが、しばらくは続きを読む気がしなくなった。今朝からずっと冷たい雨が続いていて、気圧の低下が身体を重苦しくしている。カーテンで窓をふさいだ部屋の中、雨音にまぎれて車が行き交う音がわずかに聞こえている。