鍋の中にはカルプフェン

こい(@gyaradus)のブログ

【映画】『トラペジウム』──華鳥蘭子 VS びっくりドンキー

 大学サークルの同級生(みぃぬ名義で同人活動をしている)がアニメキャラのファンアートを描いていた。純白の制服を着たお嬢様めいた風貌の女の子だ。眩しい光を背に、上品だが晴れやかな笑顔をしている。名前は、華鳥蘭子。映画『トラペジウム』のキャラだ。ギスギス、ドロドロした物語なのだろうと思っていたのだが、こんな純真で性格の良さそうな女の子が出るのか、という“おどろき”があった。
 ファンアートは、感想の形式のひとつだ。なにを描くか、なにを表現するか。描き手が作品から受け取ったインスピレーションが、ときには当人の意図を越えて、そこに映し出されている。このイラストを見るに、華鳥蘭子という女は、主人公の踏み台で終わらないpowerを持っている。この一瞬の出会いも、「運命」というもの。わたしはさっそく週末の土曜日に『トラペジウム』の映画を観に行くことに決めた。

「えー やっぱり映画館で面白い作品引いたときの感動はデカいよ」
(芥見下々『呪術廻戦』)

 土曜日。わたしは映画館の付近で二段重ねのアイスクリームを食べながら、公開中・公開予定の映画のポスターを眺めていた。『名探偵コナン 100万ドルの五稜星』『それいけ!アンパンマン ばいきんまんとえほんのルルン』『違国日記』『ウマ娘 プリティーダービー 新時代の扉』『九十歳。何がめでたい』。どれもおもしろそうだ。映画館という“場”には、独特の緊張がある。それがどこからくるものなのかはわからない。ただ、実感として、世界から隔絶された異世界に迷いこんだような感覚があるのだ。『呪術廻戦』のキャラ吉野順平が、わざわざ映画館まで足を運ぶ理由がわかったような気がする。やはり、この場はよい。数々の冒険と“おどろき”がここには眠っている。なあ、順平──。映画館の空気と二段アイスを存分に堪能したわたしは、その場を後にした。そしてグーグルで『トラペジウム』を公開している映画館はどこにあるのか調べることにした。
 翌日。わたしはまたしても映画館にいた。都心のもっと大きな映画館に。窓から見下ろす夜の街は格別だった。夢の広がりを見渡すような美しい夜景。今夜が忘れられない夜になると約束しているかのようではないか。
 胸の高鳴りを感じながら、券売機で『トラペジウム』を押した。しかし、ひさしぶりにチケットを買うせいだろうか、買い方の手順がわからない。なにやらよくわからない×ボタンが現れていて、ボタンをプッシュしても次の画面に移行しないのだ。故障だろうか。満席……。満席。ああ。ふざけるなよ。ここまでくるのにけっこう交通費かかったんだぞ。あ、あ、あ。あああああああああ。
 その後、わたしは映画館付近のたこ焼き屋でうちひしがれていた。わざわざ都心まで、それも公開1時間前にきたのに、たこ焼きを食べて即帰るのか。なんだったんだ今日一日は。完全にあらゆるやる気を失っていた。まあ、べつに『トラペジウム』は悪くない。悪いのは吉野順平だ。『呪術廻戦』3巻で順平がいっていた映画館はもっとガラガラだったのに。満席で入れなくなることなんてあるのかよ。だましやがって。映画を劇場で観ても、金がかかるだけじゃねえかよ……。だが、ここまできて観ないわけにはいかない。虎杖悠仁だって「アイツを殺すまでもう俺は負けない」といっている。わたしがこれまで鑑賞に失敗していたのは、虎杖のような殺意に欠けていたためだ。次こそは確実に仕留める。火曜日こそは鑑賞するため、わたしは映画館をリサーチし、地図を確認し、そして席の予約を行った。
 こうして火曜日の鑑賞は確定事項となった。いろいろあったが、ようやく観れるぞ……と思っていたら、なぜだか、みぃぬさんが「もし好みに合わなかったらどうしよう」と不穏なことをいいはじめた。ほんとうにどうすればいいんだ。『トラペジウム』がぜんぜんおもしろくなくて、観ている間に寝てしまう可能性だってゼロとはいいきれない。もしそうなら、わたしは二段アイスとたこ焼きを食べるためだけに、ここまで苦労してきたということになってしまうではないか。
 そして期待と不安の中、おとずれた3つ目の映画館。途中、《びっくりドンキー》を見つけた。もしもつまらなかったら、ここででかいハンバーグでもたのもう。そして「《びっくりドンキー》のハンバーグのほうが満足感高かった」といってやろう。もはや、そういわせるためにここにこの店はあるのではないのかとすら思えた。
 劇場に入ると、なんだかんだワクワクドキドキしてしまう。扉を開いてスクリーンの前に坐る。この空間にひとつの世界が生まれるのだという実感がわいてくる。周囲を見渡すと、若いひとだらけだった。いや、わたしも20代ではあるが、もう中身は枯れつくしていて老人同然だ。この場にいていいのかという気分になる。50代前半ほどの白髪頭の男性が、目の前の席にやってきて、ぐてっと気だるく腰かけた。仲間に出会えた、と思えた。この中年男性を友として鑑賞することにしよう。
 劇場内が暗転し、映画予告がはじまる。デジタル依存症の現代人らしく、スマートフォンが使えないと落ち着かなかった。こんなことで、ちゃんと鑑賞を終えられるのか。またしても不安がこみあげてきたが、本編がはじまると、心配はもう無用だった。東ゆうと華鳥蘭子がテニスの試合を通じて出会うシーン、いや、ゆうが聖南テネリタス女学院の学校銘板を蹴った瞬間から、わたしはもうこの映画に釘付けだった。詳しい感想を知りたい方には、すでに弊ブログにあげたネタバレ記事を読んでもらいたい。
 とくに、この映画を観るきっかけにもなった華鳥蘭子。わたしの見込んだ通り、彼女は毅然と己を貫き続けていた。夢見がちで、好奇心旺盛で、なににでも全力で挑戦し続けるお嬢様。不穏なシーンもすくなくない作品の中、彼女のもつ天性の明るさが要所要所で大事なものとして浮かび上がってくる。彼女自身のキャラがすでにある種のアイドルらしい輝きを放っているように思えた。なにがあろうと大事なのは、いつでも冒険し、新たな“おどろき”を得ようというpowerだ。
 かあーっ、やっぱり映画はいいなあ。どんなにポカしてお金を浪費したとしても、この感動があるからやめられない。きっとまた観ることになる。あなたもそうでしょう。同じ感動を共有しようと思って、前の座席を見たら、さっきの中年男性の姿はもうなかった。映画の途中で帰ってしまったらしい。どうやら『トラペジウム』という映画が放つ圧倒的な輝きは、ご老人にはショックがつよすぎたようだ。無理もない。これは、わたしのような瑞々しい感性を持った“若者”向きの映画なのだから。
 帰り道。夕食をどこで取ろうかと迷っていたら、なんと《びっくりドンキー》があった。感動した映画の帰り道に、わたしの激推しのハンバーグ屋がとつぜん目の前に現れた。これを運命といわずして何という。

 巨大なチーズハンバーグを味わっていると、『トラペジウム』のシーンひとつひとつがパノラマのように頭に浮かんできた。脳内の吉野順平がわたしの意見に「そう!!そうなんだよ!!」とふだんのかれとはちがった明るい様子で同調してくれる。そのうち虎杖くんと真人さんもやってきて、四人で大いに盛り上がった。『トラペジウム』最高。《びっくりドンキー》最高。また、映画鑑賞にいくぞ。