鍋の中にはカルプフェン

こい(@gyaradus)のブログ

【清少納言】『枕草子』「十九 たちは」──「たちは たまつくり。」

たちは たまつくり。

(清少納言枕草子』)

 6月中に『枕草子』を完読しようとちまちま読み進めていたら、こんな文章が出てきた。たちは たまつくり。この十九段にはこれだけしか書かれていない。講談社学術文庫の『枕草子』はありがたいことに全訳注つきなのだが、現代語訳もそのまま「たちは たまつくり。」だった。語釈によれば、この「たち」が「館」「太刀」の両説あり、また「渡(わたり)」の誤りだという意見もあって、意味を断定することができなかったようだ。(※「たま」は「渡」との説ありと書いたが、見誤りだったため修正)

原は みかの原。あしたの原。その原。

(清少納言枕草子』)

 本書の解説で「類聚的章段」と呼ばれている段は、このように、なにか一定のものごとについて、そこから連想するものを「○○と△」羅列する形式をとっている(「春は曙」を思い出すひとがいるかもしれないが、こちらは「随想的章段」に分類されている)。その中でも、この「たちは たまつくり」は極端に短い。ブログタイトルに全文をそのまま載せられるほどだ。

 なにかものづくりするにあたって、「しっかりやるぞ!」「工夫するぞ!」という気概が大きくなりすぎて、なかなか手にかかれなくなることは少なくない。タスクの印象が頭の中で大きくなりすぎて、めんどくさくなるためだ。そんな気分に対して、『枕草子』の「類聚的章段」の簡素さは、なんとも見ていて気が楽になる。「たちは たまつくり。」だけで作品成立である。そのうえ、意味すらはっきりしていない。でも、いい。「たちは たまつくり」。館か太刀か渡かはわからないが、「あれいいよね……」という清少納言の気分が妙につよく伝わってくる。

 気負わず、楽天的に。思うがままに。紫式部には「浅薄」「短慮」とでも評されそうだが、たまには肩の力を抜いて書いてみたものも悪くない。と、いうことで、この記事はこのようにほんの10分ちょいでさらさらと書いたのだった。