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こい(@gyaradus)のブログ

【鳥山明】『ドラゴンボール 24巻』──フリーザの圧倒的な“力”に救いを求めている

 マキシマム・ザ・ホルモンの「F」は、マンガ『ドラゴンボール』の悪役であるフリーザのテーマソングだ。

 イントロが始まってすぐにオウム真理教における殺人の隠語「ポア」がなんども繰り返され、「独裁」「虐殺」「プロパガンダ」といった物騒なことばが並び、「笑って踏み潰す!!」の声とともにフリーザがほかのキャラクターたちを虫けらのように殺していく光景が歌詞から広がっていく。
 強大な力をもつフリーザが、あらゆる秩序を破壊して世界を思うがままに支配する。歌詞の中でしっかりと「怯え泣くは我ら民」といわれているのにも関わらず、きけばきくほど、精神が高揚していく。自分自身がフリーザになったかのような気にまでなってくる。暴君のカリスマに飲みこまれていく感覚とはこういうものじゃないか、と思わされる曲だ。

「わたしの戦闘力は530000です。ですがもちろんフルパワーであなたと闘う気はありませんからご心配なく…」
(鳥山明DRAGON BALL』モノクロ版 24)

 この時点で「いや強くしすぎでしょ」となる悟空ですら、戦闘力は180000くらい。フリーザと対峙していたピッコロさんの42000だってこの時点の作中ではトップ5くらいには入っていたであろうに、さらっと絶望的な数値が飛び出してくる。フリーザの圧倒的な「力」を印象づける名シーンだ。曲名の「F」は、フリーザの頭文字であることはもちろん、Force(力、強さ、強要)のニュアンスもこめられているのではないかと思わせられる。


 多くの人間は、たいしてとりえも個性もないから、特定の個人や社会にナルシシズムを投影する。いまツイッターでイーロンがめちゃくちゃやらかしている最中だが、「イーロン・マスクの天才ぶりに気づかない凡人どもぉ!!」とかなんとかいっている層は、「天才であるイーロンに共感を示せる非凡な自分」というように、なんかまわりくどい形で自分を誇示しているわけだ。
 そういうひとたちは、当のカリスマからすれば、数ある「養分」のひとつにすぎない。『ドラゴンボール』でいえば、フリーザに技のためし撃ちをされてバラバラになる雑兵とか、そのていどのものだ。しかし、かれら自身は自分のナルシシズムフリーザ様に投影してるから、むしろ役に立てて光栄、とか思っているかもしれない。フリーザ様による至高のスパチャなのである。

 人間の権力が最大化するのは、大勢の人々が同意にもとづき個々の権力を、一個の私人または公人のうちに統合するときである。
(トーマス・ホッブズリヴァイアサン角田安正訳)

 現実には手に入れることのできない無限の権力を、自分の代わりに、圧倒的な権力者が持ってくれている。それが救いになっている人間もいるだろうが、じっさいに生活にからんでくると、やはり「怯え泣くは我ら民」だ。一般人は一般人なりに、悟空と入れ替わったギニューにダメージを負わせたり、超サイヤ人覚醒のきっかけとなったりと活躍できたクリリンを目指して抗いましょう……。あまり関係ないけど、24巻の時点でブルマがまだヤムチャと恋人だった事実がつらい。