鍋の中にはカルプフェン

こい(@gyaradus)のブログ

【ホメロス】『イリアス』「第4歌」──上位存在からすると人間ちゃんは猫みたいなもの?

 ゲームのやりすぎか身体がなまってきていたので、近くの海岸で身体を動かしてきた。息を切らしてベンチで読んだのは、ホメロスの『イリアス』だ。この前、ここで読んだのはヘミングウェーの『老人と海』だった。このふたりを並べるのはおかしな感じがするが、どちらの作品も、人間が自然と関わる“物”の一部であることを思い起こさせてくれる。

 ホメロスの神聖な世界観の根元は、聖書と同じく「簡潔さ」にある。といった作家の名前は思い出せないが、『イリアス』の文章は、複雑ないいまわしもなく、ごてごてとした飾りつけもない。それでいて、信じられないほど大きなスケールで作品のイメージが広がっていく。あらやる感情も、自然も、死も、すべてが人格化した秩序の中で調和している。ホメロスひとりだけではなく、この話を伝えていった古代ギリシアの人間たちの経験や宗教感がこの作品の世界観を構築している。柄谷行人が「シェークスピアは3人の魔女を実在する存在として描いている」と書いていたことを思い出した。『イリアス』のような作品を世にふたたび生み出すには、一度文明が先史のレベルにまで後退しなくてはならないのだろう。

 『イリアス』の「第4歌」には、トロイエを贔屓するゼウスにヘレが怒り、口喧嘩するワンシーンがある。ゼウスにもヘレにもそれぞれ“推し”の街があって、「もしおれの可愛がってる街を滅ぼそうとするなら、おまえの推してる街滅ぼすからな」とかなんとかいいあっているわけだが、これ、SNSでちょっと前にバズった「人間が猫ちゃんを可愛がってるように、上位存在も人間ちゃんを可愛がっているのか?」というツイートのような構図だ。アガメムノンたち英雄が、山羊肉を神に貢いでいるのも、猫ちゃんがネズミの死骸かなんかを咥えて飼い主にプレゼントしてるようなものなんじゃないか。いや、猫は、人間を下に見ているだろうから例としては不適当か……。

 ギリシア神話の世界観では、あらゆるものが人格化されており、われわれの行動すべてが、その人間関係の中に組みこまれている。『老人と海』の主人公である年老いた漁師は、海の生物たちを友だち扱いして、ひとりで海にいる孤独をやわらげようとするが、「なんらかの人間関係の中にある」という感覚は、人間の精神の安定に必要なものなんだろう。